会報42-2 追悼 渡辺昭治さん 大瀧恒夫さん

[平成24年(2014)09月30日発行会報第42号から]

渡辺昭治さんを偲んで 小座間 清次郎

多摩美みどりの会、麻生多摩美の森の会の設立時からの会員の渡辺さんは、最新の医療技術による治療も叶わず、去る5月 29 日天国へ旅立たれました。享年 82 歳。思い残すことは沢山あったことでしょう。昨年7月、一緒に通っていた体操教室の帰途、多摩美盆踊り大会でのみどりの会の出店について、「今年も野菜販売の金勘定だね」と楽しみに話した翌朝、救急車で病院へ。後日、見舞いに行くとリハビリ中で、1、2ヶ月で社会復帰できそうとのことだったのに、病状は変わらず、帰宅することはありませんでした。

温厚で、静かな言葉づかいと表情で気持ちを伝える誠実な方でした。森の会では数年会計幹事を務め、森の家の管理も担当され、みどりの会では、物品の運搬やイベントの講師の送迎を快く引き受けてくれました。食通で、おいしい物を聞けば、他県まで料理教室に通ったことはあまり知られていません。

男子サッカーユース日本代表のお孫さんの応援に寸暇を惜しまず出かけ、女子中学柔道全国大会出場のお孫さんについても将来を楽しみにしておられました。ご家族に看取られ、「ありがとう」と口元が動いた、安らかな最期だったとの奥さんのお話です。合掌

◇映画カメラマン渡辺昭治さん 木村 信夫

昭治さんの写真は、被写体が浮き立ついっぽう全体の雰囲気が伝わってきます。元々16ミリ映画カメラマンのためか、良く歩き回り膝を屈伸させて最適アングルを探しているからのようで、私も膝を使うことにしました。

私が 16 ミリ用レンズをデジカメに着けてマクロ撮影していると話すと、昔使われていたレンズを譲って下さいました。仏国のアンジェニュー75 ㎜と英国のテイラー・ホブソン105 ㎜。長期保管中に出たカビをオーバーホールし、森の草花の撮影に欠かせないとても有難い2本となっています。感謝を込めて。

大瀧恒夫さんのご逝去を悼んで 間野 洋

会員の大瀧恒夫さんがこの7月逝去されました。麻生区市民健康の森は、川崎市の「市民健康の森構想」の発表以来、その整備構想検討委員会、推進委員会を経て、平成 13 年に「麻生区市民健康の森を育てる準備会」が発足しました。それ以前から多摩美みどりの会で活動されていた大瀧さんは、準備会スタート時点から参画されました。最後の2年間の闘病生活を除くと、約 12年間、当会の活動に寄与され、途中入会の私にとっても大先輩でした。

当会の活動においては、竹炭焼きのリーダーであり、失敗が多かった作業に温度管理を取り入れて、素晴らしい竹炭が作れました。また、里芋の種芋保存用に、孟宗竹を利用して頑丈な土室を作られたことなどが印象に残っています。

個人的にも親しくさせていただきました。大瀧さんは油絵、写真撮影、登山等の趣味の人で、絵画については同好の志が会員に3名おり、N氏出展の展覧会に行き、帰りの飲み会が楽しみでした。また、尾瀬、高尾山、鎌倉アルプス、丹沢等の登山に同行させてもらい、山で大瀧さん特製のコーヒーをいただくのが楽しみでした。

人柄も寡黙で温厚、誰にでも平等に接する方でした。もう少し長くご厚誼いただきたい方でした。 ここに改めて心からご冥福をお祈りします。

◇宝物のマグカップ 中谷 一郎

大瀧さんとの 10 年来の思い出は語り尽せないほどで、植樹祭&収穫祭でのバームクーへン作り、竹炭作りなど多々ありますが、その中でも何回もの山歩きが心に残ります。

大瀧さん、間野さんと何時もなぜか3人でした。ある山行のとき、大瀧先輩が3個のラアケン(LAKEN)製、山では欠かせないアルミの軽いマグカップを取り出し、小生たちにプレゼントしてくれました、それ以来どこに行くにもお供で、山頂で美味しいコーヒー、お酒にと愛用していました、現在でも小生の宝物として大事に使用しています。 献杯